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  • 執筆者の写真Naoko Moller

フランス・モン・サン・ミシェルと宮島・厳島神社〜二つの聖地を訪ねて 


今年は偶然、二つの聖地、モン・サン・ミシェル(708年)と宮島、厳島神社(593年)を訪ねる機会がありました。

共に、世界遺産にも登録されていて、1000年以上も前に神託を受け建てられた、「聖地」です。



さらに、今年は、この二つの町が姉妹都市となって10年目という節目の年で、なんとモン・サン・ミシェルに鳥居まで建てられていました。


厳島神社の大鳥居とは比べ物になりませんが、不思議と、赤い鳥居がモン・サン・ミシェルを守っているかのようで、遠目で美しく、日本人としてもちょっと誇れるものでした。





こちらは、今年4月、参拝した宮島です。本物の鳥居!






鳥居は、あっちの世界とこっちの世界を、神域と人間が住む俗界を区画する結界ですが、

日の出ころ、鳥居の中からお日様を眺めていると、神話にでてくる黄泉の国へ通じるのかな?なんて冗談交じりで話ていましたが、ちょっと「そうかも」と感じさせるものがありました。


早朝、大潮の満潮時には水でいっぱいになるモン・サン・ミシェルの外側には、一部、川のようになり、水辺が残っています。この近くを、この日のこの時間、歩いていたのは、私たち二人と男性一人。その人にお願いし、記念撮影。


パチリ♪






モン・サン・ミシェルが黄泉の国なら、城壁の外側に残っている、川は三途の川だわ、と

さらに話が盛り上がった私と相棒でした。


ここが水で満たされていたら、この位置から、正面からモン・サン・ミシェルを見ることはできなかったのです。この場所にたち、ご来光を待つこともできなかったのです。



天は、自然が作り出す様々な表情が、1000年以上も揺るぎなく建つ、アビーをいつの世にも、人々を魅了させることも心得ているかのようです。




モン・サン・ミシェルの中心は修道院、アビー。アビーは東を向いて建てられていて、朝日がアビーに入るようになっているとのことでした。

私たちが泊まったホテルも、部屋も見えます。

朝日を浴びたアビー。アビーのてっぺんには黄金色に輝くミカエルがいます。



モン・サン・ミシェルの主要部はゴシック様式で造られていますが、内部はさまざまな建築様式が入り交じった独特の建築みられます。






ここは「回廊」。ほかの建物につながる通路の役目を果たす回廊は、最上階に位置し、ラメルヴェイユと呼ばれ、137本もの柱があります。





ここは、「食堂」。回廊の隣りにあります。





壁に沿ってテーブルが配置され、修道士たちは聖典に耳を傾けながら壁に向かい食事をしていました。会話は厳禁だったそうです。禅寺の修行僧のようです。



木製の丸型天井の食堂には、59個にもおよぶ小窓があり、優しい光が差し込んでいます。窓の正面に立った時のみ、直接光を浴びることができる構造になっているとのことです。









「大車輪」中からと外から。修道院が牢獄として使われていたころ、重い荷物や食べ物を下から運ぶために設置されました。6人の囚人が中に入って、ハムスターのように大車輪を回していたそうです。







アビーのてっぺんには大天使ミカエルが。



オベール司教は、大天使ミカエルのお告げを信じることができず、3回目のお告げの際に、業を煮やしたミカエルはオベール司教の頭に指を突っ込んだと言われています。それに驚き、そのお告げが本物だったと確信し、この地にアビーを建設したと、言われています。

それを物語っているものが、真ん中と右側の石の壁にあります。




  このような経緯を経て、708年の10月16日にモン・サン・ミッシェルは献納され、それ以後、聖地としての歴史が始まりました。





千年以上前、人々が、こんな風に、ここで手を洗ったり、この階段を登ったりしていたのでしょう。



細い通路や、水路、迷路のように入り組んだ石段を歩き、当時の生活ぶりを垣間見た気がしました。




姉妹都市となり10周年を記念し、島内のいたるところに、宮島とモンサンミッシェルの類似点をあげたポスターが貼ってありました。


地球の裏側で、同じ時代に、建てられたもの。


当時はお互いの存在すら知らなかったはず。


不思議です。


どこにいても、人の思いは同じ。


どこの人も、やっぱり人は、神の子なのですね。



2019年、この二つの聖地を偶然、訪れることができたことは、何かご利益があるか、それとも、何か教示があるのか。


なにはともあれ、嬉しく、良い思い出となりました。


参考文献:

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