top of page
執筆者の写真Naoko Moller

気配り、いろいろ

いつ、どんな形で、どういう風に、周りにいる人たちに「気配り」をしたらいいのか?

ということを考えます。



それは、相手あってのこと、自分が気配りをしている相手もまた、同じように気配りについて考え、気配りをしているのです。


でも、自分のする気配りは、自分の主観的考えであったり、自分の常識で成り立っているわけで、気配りすることにより、自分の常識を、自分の主観を、周りの人へ押し付けているということがよくあるのでは、と思います。

「人のふり見て、我がふり直せ」と、言う言葉がありますが、私はどうなの?と、最近、改めて自分に問いています。






先日、こんなことがありました。


ブログに以前から登場している、夫ジェイの長年の友達で我が家に滞在中の女性とのやりとりです。



ここ数日、彼女は、ダイニングテーブルの私のお決まりの場所に座って、パソコンを広げているのです。


そして彼女は私に、


「あ、ここに座りたかったら、すぐ退くから、言ってね」と、言いました。


無言の私。



(そこが私の定位置とわかっているのであれば、私がきたらさっと、席を譲ったらいいのに、それなら最初からそこに座らなければいいのに、と私は思うのです。)






また別の日、朝、偏頭痛で、下の寝室で、うだうだしていたのですが、昼近くになり、二階のリビングに上がっていきました。


つかさず彼女は私に、

「直子、大丈夫? 少し遠慮しようか?もう少し、邪魔にならないようにしようか?

私は自分の部屋の中で作業できるし。ここは直子の家なんだから、気に入らないことがあったり、いてほしくない時があったら、いつでも言ってね」


と、声をかけてきました。


(今更、言えないんですけど…)


彼女は、何やら、私が落ち着かないということは空気で感じてはいるのです。

とても繊細な部分もあり、いろんなことを敏感に感じてはいるのです。


が、対処の仕方が、物事の対応の仕方が明らかに、私とは違う。


ただそれだけなのかもしれない…。


そんな風に思えるようになって来ました。




「人のふり見て、我がふり直せ」


そして、


良かれと思ってする、気配り。


それが、自分のする気配りが、相手に伝わらなくても、自分がやりたいからやっている、

と思うこと。


そして、「してやったのに。。」にならないように 気をつけたい。


改めて思っている今日この頃です。




暑い季節用のパンツを縫おうと思い、布をちょきちょき切りながら、手を動かしながらこんなことを、考えていました。


今日は穏やかな気持ちでう過ごすことができますように。






閲覧数:75回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ソフリット糀

死の選択

Comments


bottom of page