いつ、どんな形で、どういう風に、周りにいる人たちに「気配り」をしたらいいのか?
ということを考えます。
それは、相手あってのこと、自分が気配りをしている相手もまた、同じように気配りについて考え、気配りをしているのです。
でも、自分のする気配りは、自分の主観的考えであったり、自分の常識で成り立っているわけで、気配りすることにより、自分の常識を、自分の主観を、周りの人へ押し付けているということがよくあるのでは、と思います。
「人のふり見て、我がふり直せ」と、言う言葉がありますが、私はどうなの?と、最近、改めて自分に問いています。
先日、こんなことがありました。
ブログに以前から登場している、夫ジェイの長年の友達で我が家に滞在中の女性とのやりとりです。
ここ数日、彼女は、ダイニングテーブルの私のお決まりの場所に座って、パソコンを広げているのです。
そして彼女は私に、
「あ、ここに座りたかったら、すぐ退くから、言ってね」と、言いました。
無言の私。
(そこが私の定位置とわかっているのであれば、私がきたらさっと、席を譲ったらいいのに、それなら最初からそこに座らなければいいのに、と私は思うのです。)
また別の日、朝、偏頭痛で、下の寝室で、うだうだしていたのですが、昼近くになり、二階のリビングに上がっていきました。
つかさず彼女は私に、
「直子、大丈夫? 少し遠慮しようか?もう少し、邪魔にならないようにしようか?
私は自分の部屋の中で作業できるし。ここは直子の家なんだから、気に入らないことがあったり、いてほしくない時があったら、いつでも言ってね」
と、声をかけてきました。
(今更、言えないんですけど…)
彼女は、何やら、私が落ち着かないということは空気で感じてはいるのです。
とても繊細な部分もあり、いろんなことを敏感に感じてはいるのです。
が、対処の仕方が、物事の対応の仕方が明らかに、私とは違う。
ただそれだけなのかもしれない…。
そんな風に思えるようになって来ました。
「人のふり見て、我がふり直せ」
そして、
良かれと思ってする、気配り。
それが、自分のする気配りが、相手に伝わらなくても、自分がやりたいからやっている、
と思うこと。
そして、「してやったのに。。」にならないように 気をつけたい。
改めて思っている今日この頃です。
暑い季節用のパンツを縫おうと思い、布をちょきちょき切りながら、手を動かしながらこんなことを、考えていました。
今日は穏やかな気持ちでう過ごすことができますように。
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