子どもの頃から慣れ親しんだ「食材や味」があります。
子どもの時の味覚は、大人の私たちの味覚の基盤になっていると思います。
子どもの頃、食べたものは、思い出の味として残るだけではなく、それを糸口として、引き出すと、それを食べた時、「誰と、どこで、どんな雰囲気で食べていたか」と、その時の情景が思い出されることがあります。
私に取っては、育った新潟魚沼の三菜のひとつ、ぜんまいのきんぴらと、これも新潟名産車麩の煮付けが思い出の味のひとつです。
ぜんまいは山菜の王様。採れたては食べられません。
一度湯がいて、干します。ただ、干すだけではなく、ムシロやゴザの上で、よく揉んで、繊維を壊し、バリバリになるまで干します。
春、ぜんまいを母と採りに行ったこと、よく晴れた日、お寺の境内で、それを干したこと、よく思い出します。
また、自分が親になり、子どもたちとお寺の裏山でぜんまいを採っては干していたことも懐かしく思い出されます。
そういえば、アメリカ人の夫、ジェイは、私が日本風の「焼きそば」を作って出した時に、一口食べて、
”This is it!" これ、これだよ! と大興奮したことがありました。
「んん?なに?なに?」と私。
よくよく聞いてみると、
18歳の時に、ジェイは、バックパックを担ぎ、世界一周の旅をしたのですが、その途中日本へ立ち寄ったということでした。
お金もなく、プランもない旅で、とりあえず、東京都内の大学へ行き、自分(白人)に興味を持ってくれそうな人たちに声をかけたそうです。
その中の一人の学生が、ジェイの東京見物の案内役をかって出て、色々とつれて回ってくれたそうです。
その時に、どこかのお寺か神社の境内で、露天商が作る焼きそばを食べた、ということでした。
それがなんだかわからなかったと言いますが、「ヌードルだった」、という事、そして、「味」を覚えていたのです。
それからは、家で焼きそばを食べるたびに、この話をしてくれます。(笑)
食事は、「食す」ということにとどまらず、家族が、食卓を囲んで、時間、食べ物を共有し、コミュニケーションの場になっています。
そして、幼少期の楽しい食体験は、負の感情体験を少なくし、親子のコミュニケーションを円滑に、家庭生活の満足度を高めるという調査結果もあります。
その一方で、寂しい食生活体験は、家庭による負の感情体験を助長し、満足度の低下に繋がり、さらには孤食の一因となることも少なくないということも明らかになっています。
食べ物はお腹を満たすだけではなく、同時に「心の栄養」にもなっているのですね。
世の中が忙しくなり過ぎてきていた近年、コロナパンデミックで家にいる時間が増え、家庭で食卓を囲むことが増えました。
否が応でも、日々の暮らしを、食卓を見直すきっかけができたのではないでしょうか。
子どもの頃のおいしかった思い出。
心を育ててくれた思い出の食べ物。
みなさんはどんなものを思い出しますか?
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